クム デェーン・カオヘラニ・シルヴァ(1946-2022)
ローカヒロミロミ (Lōkahi Lomilomi) の創始者。
ハワイアンロミロミアソシエーションの創設者の⼀⼈で初代会⻑。
(1988年に伝統的なロミロミを継承するため設⽴。現在はアハフイ・ロミロミ・ハワイ ʻAhahui Lomilomi Hawaiʻi として知られる)
1996年よりハワイ諸島全体の協議会 クプナ・ラアウ・ラパアウ・オ・ハワイ (Kupuna La ʻau Lapa ʻau o Hawai ʻi) の理事を務める。
カメハメハ⼤王ロイヤルオーダー8階級会員。
ロミロミやラアウ・ラパアウ(薬草学)の指導者としてハワイや⽇本を始め、アメリカ本⼟、スイス、カナダ、ヨーロッパ諸国、ニュージーランド、オーストラリアなど世界各国に数百⼈もの⽣徒がいる。
伝統的なハワイアンのスピリチュアリティーや武術、薬草学、解剖学、病理学の幅広い分野を極めたハワイでも数少ないクムロミ。ハワイの伝統医学と科学の融合で国際的に知られる。
1946年11⽉9⽇ハワイ島ヒロで、⽗ エドウィン・アイザック・イケアカ・シルヴァ(ハワイ島ケヘナ⽣まれ)と⺟ ダリス・カレフアヴァイマカヌイオヒイアカイカポリオペレ・シルヴァ(ハワイ島ワイメア⽣まれ)との間に⽣まれる。パム・シルヴァと結婚し3⼈の⼦供と8⼈の孫を授かる。
幼少期から⽗エドウィンと祖⺟リリイ・カカニ・ノブリガ (マウイ島ハナ⽣まれ)にロミロミの⼿ほどきを受け育ち、初期の頃にはネイティブハワイアンのコミュニティ「ケアウカハ」で更に多くの偉⼤なクムにつき本格的なロミロミ、フラ、薬草学(ラアウ・ラパアウ・ハーバルメディスン)を学ぶ。またその中で柔術やルア (ハワイアンの格闘秘技)のマスターであった叔⽗、アンクル・ビルから親族の中で唯⼀認められるなど、伝統的なオハナ(家族)スタイルのロミロミを継承する⼈物となる。
最も⻑いキャリアであるハワイアンスピリチュアリティとヒーリングにおいては、1981年ハワイ島の「プウホヌア・オ・ホナウナウのハレ・オ・ケアヴェ(ハワイで最も神聖な史跡のある国際歴史公園の神殿)」において、ロノ(ハワイの4⼤神の⼀⼈)のカフナプレ(祈りのマスター) として認められる。
またハワイ州のライセンスドマッサージセラピストとして24年間の経験を持ち、1982年にはハワイ島で初めてハワイ州よりライセンス取得のためのトレーニングプログラムを⾏う許可を得る。
ハワイ⼤学で⽣物とバイオメディカルサイエンスの学⼠号を取得。早稲⽥鍼灸カレッジにて鍼灸の資格を取得。ライフカイロプラクティックカレッジウェストにて優秀な成績で博⼠号を取得し、レントゲン技師とMRI技師の資格を持つ。イーストウェストスクールエクササイズスポーツメディスンのマッサージ課程修了。アメリカ コーストガード リザーブオフィサー (沿岸警備隊の予備役中尉)として勤務した。カイロプラクティックドクターとしての経歴も持ち、放射線学、整形外科学、神経学を⽤いた診断を専⾨とし、ロミロミ、薬草学、鍼灸、カイロプラクティックを統合した治療を⾏っていた。
彼が講義を⾏った⼤学や⾼等教育機関は「ハワイ⼤学ヒロ校看護師プログラム」、「ハワイ コミュニティーカレッジ」、「ジョンA バーンズ医⼤」、「ライフサイエンス ファウンデーション」、「カリフォルニア インスティチュート オブ インテグラル サイエンス」「ハワイ⼤学ヒロ校薬学部」、「ビショップ博物館」などがある。
科学と伝統⽂化を統合した考えを得意とし、「ミネソタ⼤学アールE・センター・フォー・スピリチュアリティ・アンド・ヒーリング」においては10年間⾮常勤教授として勤め、医学⽣や看護師、指導者へ向けて、ハワイの価値観や⽂化、ロミロミ、植物医学、炎症、⽣化学、スピリチュアリティ、ヒーリングなど幅広い分野の講義を⾏った。健康における精神、⾃然、⼈間のバランスの重要性を説き、科学的視野を持ちながらもハワイ先住⺠の知恵と⽂化、植物、習慣を守るため活動を続けた。
彼の最新の研究論⽂として、ハワイ医学で古来より使⽤されてきた植物「ウハロア」の抗炎症作⽤が証明されたものがハワイ⼤学 ヒロ・ダニエル・K・イノウエ薬学部との共同研究により2022年に国⽴衛⽣研究所から出版された。またビショップミュージアムの『Nā Moʻolelo Lomilomi』や『Practical Folk Medicine』の復刻版で序⽂を執筆している。
⽣前はハワイ島プナ地⽅に在住。ハワイアンヒーラーとして、伝統的なロミロミの⽂化と癒しの永続的な促進に⼒を⼊れ、次世代の教育とリトリートを⾏いロミロミのクムや施術者たちへのアドバイザーとして尽⼒した。
特に晩年はプナ・コミュニティ・メディカル・センター財団 (Puna Community Medical Center Foundation)の理事に就任し、ハワイアンヒーリングセンター ( 緊急医療、⼥性の健康、⻭科、クプナ・ケア、ハワイの健康問題に取り組む 医療施設 ) のプロジェクトリーダーの⼀⼈として、プナ地域住⺠の健康に役⽴てるための薬草畑 キプカ (kīpuka garden) の開発に精⼒的に携わった。
ハワイ時間2022年11⽉27⽇ハワイ島の⾃宅で家族に⾒守られながら76歳で逝去。
彼の地域コミュニティや⼟地、⾃然に対する愛は深く、その研究と実践により多くの⼈々に感動を与えた。
※上記⽂章は、クム デェーンの追悼記事を著されたライター Makana Risser Chai ⽒より許可を得て本⽂より⼀部参照し、ローカヒロミロミジャパン協会によって作成されています。
転載・転⽤はご遠慮ください。追悼記事(‘22)
(©Dane Silva, HaleOla, Lōkahilomilomi Association)
◆プナ・コミュニティ・メディカル・センター財団について
◆薬草畑キプカ (kīpuka garden) について
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